21年度 映像演習Ⅰ映画 講評

|授業を終えて|

今年度はコロナ拡散の為、リモートと対⾯のハイブリット授業になりました。途中、2回の緊急事態宣⾔が発布され、予定を変更せざるを得ない点も多く、受講者のみなさんに迷惑をかけた部分も⼤きかったと思います。しかし、そんな困難な状況下で、21本もの作品が⽣まれました。この授業、作品制作の中でみなさんが「感じたこと」が、みなさんの今後の創作、研究に「どこか」で結びつけば、と願います。

⻑嶌寛幸


今季はあまり参加できずすみませんでした。これまでとは異なった体制で進みましたが結果これだけの作品が生まれたことが喜ばしいです。それぞれ共通点が多くありましたが、それ以上に個々の方向性が色濃く出た作品が集まった年になりました。

加藤直輝


|作品評|


01『私の兄』

(長嶌)障害を持つ兄が「家の間取り図らしきもの」を彩⾊しながら描いていく姿を追った作品。TVの映像、⾳声が重要な役割を果たしていると思う。⼀⽅的に繋がり、送られてくる「世界」。彼は「家」の中で「世界」と共に「家」を描く。⽇常の⼀コマの記録と⾔えばそれまでなのだが、切り取られ、編集され「⼀つの作品」となった時、その「意味」は変容していく。しばし、考え込んでしまう。

(加藤)フレーム内の情報が多く見飽きることがない。30分でも60分でも9時間でもおなじペースで見ていると思う。カメラを通した家族は何か見えましたか?

02『LAST』


(長嶌)⾳楽に合わせて、テンポよく編集された作品。しかし、⾷欲をそそるメニューと反⽐例してとてつもなく「不穏」。不在の「他者」との対話。ドアホンのタイミング、○。「誕⽣」の意味を考える。

(加藤)カッティングの速さが身体的なものか時代的なものか戸惑う。フレームのオンオフで成立させているところは秀逸。スプーンの映り込みもよし。


03『⽇本の今現実を知った21歳の夏』

(長嶌)コロナ下における⽭盾を体験し、告発する作品。丁寧な編集とナレーションの真摯な語り⼝が、この作品の強度を⾼めている。この「⽭盾」をどのように「解消」していくのか。⼀筋縄ではいかないと思います。直接の解決策ではありませんが、この制作を「国家とは?」、「個⼈とは?」を考える機会にしてもらえればと思います。私?⻑年、苦闘しています。

(加藤)クソをクソだと言い続けられたら勝ちだ。


04『けだまとまゆげ』

(長嶌)もう、かわいいとしか⾔いようがない。で、「友達ができる喜び」、「友達を思う気持ち」が素直に表現されていると思う。しかし、「焼き物」(いいのかな?この表現で)というのはアイデア。幸せな気分になる。この「夢オチ」は良い。ほっとしましたよ。

(加藤)とてもすごい。映画はMovie、Movingpictureなんだなと思い出させられた。作者と映像の相性がばっりちですね。


05『スイム・イン・ア・サークル』

(長嶌)iPhoneの画⾓に「なってしまった」ことが、結果として⼤正解。iPhoneを⽔に浸けたショット、秀逸。映像も⾳も。⾝近になったテクノロジーで「こんなに野蛮なことができるのか」と。最後のヘリコプターのショット、不穏。その「取ってつけた感じ」、今の気分のような気がする。と思っていたら、アフガニスタンの映像が・・・

(加藤)それぞれのカットは日常のアンニュイを切り取っていてよい。その分使い回しはもったいない。


06『TheLiquidYouth』

(長嶌)⾊が⾯⽩い。「世界」は、本当はこんな⾊かもしれない。⾦⿂のアクション・ペインティング、カラス、⽅位計、シュールレアリズム。

(加藤)シュールは実写だと大変だよね。ひたすらアナログ作業だからつい裏側を思いながら見てしまう。


07『桃』

(長嶌)置いた桃が腐り落ちるまで(実話らしい)を描いた作品。最初の⽅の「桃の死体(いや、屍体か)の写真」が「退っ引きならないところ」へ私たちを連れて⾏ってしまう。途中のデニーズの「桃パフェ」のシーン、唐突に思えるが、重要。

(加藤)夏休みの観察日記のよう。タイムラプス使わないところがよい。路上の桃が1年経っても忘れないほど巨大な?を引き起こすのだから不思議だし、その感じがよく出ている。


08『⽜男』

(長嶌)コロナ下において、私たちは、みな「⽜男」なのだと思う。「インチキな魔法」、それは私たちが⽣きる、この世の中に無数に存在する。Fake、陰謀論も含め。だけども、その「魔法」にかかる/かからないことが、果たして「幸福」なのか、それとも「不幸」なのか。

(加藤)おもしろい。アニメとパペットが自然に融合している。人間(?)想像力は大事ですね。


09『アイドル』

(長嶌)「輝き」とか「⽣きる」ことを考えてしまう。これが実写だったらまた違う印象、意味になると思う。ミニチュアを使ったアニメーションという表現を選択したことが、この作品の「精度」や「品格」を担保していると思う。

(加藤)おもしろい。今の日本のどこにでもある風景をオンで見せないことで無限にループする退屈さが伝わってくる。


10『21g』

(長嶌)まず、ダイアローグの声質が良い。するりと「物語」に⼊っていける。これは才能。カメラも良い。⼼地よい移動。映像的快楽。なぜだか、スピノザとライプニッツをまた再読せねば、と思う。もちろん、薔薇⼗字もね。「科学の結婚」。しかし、今、「科学」とは?

(加藤)二人の声がよい。エヴァの1シーンでありそう。手の生々しさがもっと出たらもっとよかった。しかし自主映画に脈絡と続くサティの普遍性に少し慄く。

11『2アト前のトイレ』

(長嶌)ホラー。上⼿い。JHorrorのツボを⼼得ている。携帯の使い⽅も。最後⼀つ前の「トイレから役者が出て⾏ってのカット」、空舞台(役者がいなくなってから)がもうチョい⻑いといいかも。蝉の声も含めて。しかし、上⼿い。

(加藤)シンプルで的確な構成。間を持たせて落とす古典的な方法が潔い。


12『intempo』

(長嶌)フィルムライクな「粒⼦が⾒える感じ」の映像が美しい。コロナ下のオリンピックを迎える⽇本。⽇常と熱狂と狂気。刻まれる時計の⾳と映像が⽣み出すリズムも⼼地よい。時計の⾳は⽌み、この映画は終わる。しかし、私たちの⼈⽣は命ある限り、続く。そんなことを考えた。

(加藤)点滅素材など風景の切り取り方が音、編集とよく合っている。無機質さの中で横断歩道真中のギャルの主人公感がすごい。


13『憧』

(長嶌)観て「ドスン」と来た。もちろん、フィクションなのだが、この作品の「不穏さ」にやられる。カット尻の⾳を含んだ暴⼒的な「断ち切り」が、この作品のリズムを形成している。後、ラストのネイルの下り、物語のクライマックスとして成功している。しかし、「残る」映画だね、コレは。

(加藤)身体パーツの切り撮り方が独特。爪が過剰と思ったが最後しっかり効く。日常を崩さないゆえかえって焦燥感が増すのだが、これ表現できるのはすごい。


14『ブルーライト』

(長嶌)⽇常の⼀コマというスナップショット。常にメディア(スマホ)と繋がった私たち。ラスト、友⼈の誘いで主⼈公は「外」に出て⾏く。そこでホワイトアウトするのは意味深な気がするが、これは考えすぎか。

(加藤)寝癖?がほんわかする。暗から明で終わるのもよい。


14『夏祭りの帰り道』

(長嶌)⾳、⾯⽩い。映像は⽉のフィックス・ショットだけだが、夏祭り帰りの⼈々の声→蛙の鳴き声→⾍の声→⾵⾳→夜道を独り歩く⾜⾳→家に⼊る(サッシっぽい)⾳と変化していく。⽉(と雲)の動きと⾳が呼応しているように⾒え、映画的なリズムを⽣み出している。

(加藤)望遠でじっと撮ってたのだろうか?雲の流れがよい。虫の音がちょうどいい。


14『staymymoomaway』

(長嶌)⽊彫の素材になる⽊の伐採所(岐⾩)との往復の物語。対話がいい。内容も声の質も。川のショットのパンが素晴らしい。映画的、視覚的な快楽。ラストの花のショットも強い。しかし、なぜ、トム・トム・クラブなのだろう?(回転数、早いね。どっちが正解ということもないけれど)https://www.youtube.com/watch?v=aCWCF19nUhA

(加藤)白飛びの葉のカットがとても美しい。川でのパンもよい


14『SplicingJ_A_L』

(長嶌)今年でなくなるゼミの記録。トリミング、マルチ・ウィンドウも効いている。ショットの構図、編集点も理知的でよく整理されていると思う。

(加藤)ある研究室の1日がスタートから終わりまで記録されてる。みなさんオシャレですね。


14『TheOrdinary』

(長嶌)寄り(アップ)のショットが印象的。レコード(若い⼈はヴァイナルというみたいだけども)とコーヒーメイカーの回転繋がりも。3分40秒の⿃の登場は奇跡的ショット。⿃が去った後の「間合い」も○。

(加藤)狭いだろう部屋を限定的に切り撮る空間の使い方が良い。幕のあちらとこちら、窓の向こう。幕に包まれるのがよい。


14『⾳の⾊』

(長嶌)⾃演のオーボエ独奏と映像の「Duo」。BGVには⽌まっていない出来。突然、現れる「⼿」のショットなど、はっとする箇所、多し。映像と⾳楽が「呼吸」していると思う。

(加藤)私も実景のコラージュを作るのですがノイズなので音楽の要素に合わせるという感覚がないので新鮮でした。音色と言いますが共感覚ってあるんですかね。


14『ショート・ソング

(長嶌)「覗く」/「覗かれる」ことから、この作品は始まる。「誰」が「誰」を「覗く」のか。この、映画が始原的にもつ命題を抱えつつ、映画は進⾏する。なんのことはない「⽇常」もこうやって切り取られると、それは「異化」されて「不気味なもの」として、再び「現前」する。最後に「私」は「贈与」されたテクノロジーを使って「覗く」。⾮常に⾃⼰⾔及的な作品。⾯⽩い。

(加藤)オープニングの明滅だけずっと見てたい。窃視カットの遠さと音の近さがよい。アンプリファイされた囁き声は大嫌いなのだがこれはよかった。

以上

2021年9月2日掲載