【メディア特論: アート+】質疑応答への回答(#03 鈴木太朗)
質疑応答への回答(鈴木太朗)
■「先生は何段階くらい作品のデザインを考えて作品を完成させているのでしょうか?」
→仕事内容、作品の位置付けにもよりますが、初めにコレだ、と思った案をブラッシュアップしてそのまま作品化することもありますし、自分の中でこれじゃない感でずっとモヤっとしている時は、結構締め切り直前まで悩んでしまうこともあります。この場所にこういう作品があったらその場の空気が絶対良くなる、と自信がある時はプランをまとめやすいです。デザインの世界では、1つのプランに100のアイデアを出せ、とかありますが、僕は表に出すのは2?3プランのみのことが多いです。的確な答えであれば、それで十分だと思っています。
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■「自分が魅力的だと思ったものが、相手にもちゃんと伝えることができるというのはとても難しく、私の課題でもあります」
→自分の言いたいことを作品を通して相手に伝える、というのはとても難しい課題ですが、デザインや社会に対するアートのアプローチとしてとても重要なことなので、私もアイデア出しに常に苦労しています。川畑さんも、頑張ってください。
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■「幼い頃、小川や海などどのような水との記憶がありましたか。惹かれる状況がありましたか」
→小学生の頃釣りに行くのが好きで、月10日ほど川や池に釣りに行っていた気がします。住んでいる場所が都内川の河口のほうだったので、一日のうち水の満ち引き、川の逆流、朝の光、昼の直射日光、夕方の斜光、水面の反射、ゴミの流れなど、ボーっとしながら休日を過ごしていました。魚1匹も釣れないときも良くありました。今思うと、”何もしない時間”に体感として、観察出来る時間があったのかもしれません。今でも、課題に対して答えを探す為の追われ求める観察ではなくて、何もしてない時間のふとした気づきを大切にしています。
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■「感動の要素を抽出した後のアウトプットについてお聞きしたい」
■「どのように自然そのものと作品というものを考えているのか」
→自然の物理現象の中にある感動要素は日々の生活の中で常に頭の中にストックしています。作品へのアウトプットですが、展示する空間や求められているコンセプトがあった場合、あの時感じた感覚をここで使えば答えとすることが出来るぞ、という自分の直感的なもので判断しているように思います。感動の抽出については、たとえば、春に桜の花びらが光を浴びてヒラヒラ舞っているとします。夕方の光で、花びらのバックは薄暗く、花びらの舞う姿がとても強調されていて綺麗です。このシチュエーションに於いて、いろいろな想像が膨らみます。花びらのヒラヒラした時に起こる左右の動きの面白さ、風を拾って舞い上がる気持ちよさ、花びらが正面になったり側面が見えたりすることで視覚的面積が常に変わる不思議さ、花びらの個体差、自由さ、風が吹いた時の、あの一斉に散る壮大さ、風が無い時との抑揚、ピンク色のそれぞれの違い、光になる面と影になる面の動きを伴った点滅、春に何か起こりそうなワクワク感、予期しない動き、春の記憶、あたたかさ、自然への尊敬、憧れ、空の、無限に広がる感じなど。おそらく、これらを総合的に感じて、この状況に感動するのだと思います。人工的な建造物の中で同じことをしても、全ての状況が揃っていないので感動は薄れると思います。人工的な空間に対する表現では、その場に見合った素材、手段、演出、コンセプトが必要になります。人がどういうものに対して感動するかの理解があれば、人工的な空間に作品を通して自然の息を吹き込むことが可能であると信じています。
私は普段、総合工房棟B棟3階、B311デザイン科、空間・演出研究室にいます。いつでも声を掛けて下さい!今年修了制作ということで、頑張ってください。
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■「風でなびく布の作品を見た人が30分間座って見ていて涙を流していた。という話で、作品を作っている中で同じような経験というのはよくあるのですか」
→これは、鑑賞者の方が作品を見たり体験している時に、楽しそうにしている顔を見た時に感じます。また、作品の前や、作品鑑賞後に、作品について鑑賞者同士が話している様子を見ると、いろんな価値観で作品を見ているんだな、というのがわかります。展示の後、メールをもらったりすることもあるのですが、その内容からも、自然の現象における体験者の過去の記憶と作品とのリンクに関する意見を目にすることがあります。「なにか、自分の忘れていたもの、置いていってしまったものを思い出すことが出来ました」といったコメントを頂くと、あぁ、作品創ってきて良かったな、と思います。
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■「自然豊かな地で育ったり、暮らしたりした経験はありますか」
→私は東京、葛飾の下町育ちで、自然豊かな地で育った訳ではありません。だからかも知れませんが、距離があるからこその自然に対する強い憧れがあるのかもしれません。東京の中にでも、小さな自然の物理現象を発見して、想像を膨らまし興奮します。壮大な自然や景色を目前にして「勝てないな」と思うから、常に自分が納得いく答えを作品に求めているのかもしれません。
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■「作品の仕組みやアイデアなど思いつくのはどこ、いつが多いですか?(お風呂とか寝付こうと寝床に入っている時とか、それとも構えて考えているのか、、。)」
→作品の仕組みやアイデアが思いつくシチュエーションは様々です。“お風呂とか”とありましたが、お風呂にもヒントがあります。お風呂で壁の水滴をぼーっと見ている時もあります。照明との関係でいろいろな見え方がして、このあたりの水滴が一番かっこいいとか笑。見方を変えればですが、いろんなところにヒントがあると思っています。作品に対して構えて考えてしまうと、なにかコンセプトばかり意識してしまい、良い結果にならないことが多いです。表現で悩んだ時に美術館に行くよりは、どこか旅行にでも行った方がよっぽど参考になる、と考えています。そう考えると、デザインに於いて自分に関係の無い分野、というのは無いのかな、と思います。
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■「空間演出研究所っていつどこにあるのですか?行ってみたいです」
→空間演出研究所の場所はいちおう大学の研究室ということになっていますが、その場所が重要というよりは、プロジェクトに関心ある人たちが集まって、ひとつの理想を成し遂げるところに空間演出研究所の面白さがあるのだと思います。基本、うちの研究室のメンバーが中心となり、プロジェクトの内容に応じてメンバー募るという感じです。「東京藝術大学 美術学部 デザイン科 空間・演出研究室」という名前があまりにも長いので、研究室の通称を「空間演出研究所」とした感じですが、研究室の枠を超え、科の枠、大学の枠を超えて、自分たちの信じる表現を社会に繋げていけたらと考えています。私は藝大の学生を学生という位置付けにしていなくて、ひとりの作家、またはデザイナーとして接しています。私が藝大に常勤教員として来てから3年、学生がいちデザイナー、いち作家として社会と繋がることでもっと面白い世界が広がると考え、空間演出研究所がこれらを実現できる場所になったら素敵だなと期待しています。
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■「水のアート作品と社会が実際にどう結びつく役割を持っていたのか、詳細が気になりました」
→イベント企画などは、そのコンセプト、場所性が重要になります。水のアート作品と社会を結びつけるというよりは、場所が求めている、人が求めている、社会が求めているその場に求められている空気感に対して何をすればその場が充たされるか、ということが重要と考えます。私は自然の物理現象が人の感情に対して記憶を呼び起こし、気持ちの変化に影響を与えるものと信じ、素材として使っているのだと思います。
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■「ビー玉の作品は細胞分裂のようにも見えましたが、コンセプトはどのようなものだったのでしょうか」
→ビー玉の作品は、子供の頃の記憶や感覚を作品を通して呼び戻せたら、という思いがあります。子供の時に感じた小さなことに対するワクワク感、大人になって忘れてませんか?という意図です。ビー玉の動きの視覚的な面白さ、集光による光の現象、手ざわり、音、重力、記憶、懐かしさ。近年テクノロジーの発展により、五感を伴った表現、作品が取り上げられます。五感と言って、じゃぁ手ざわりが大事だ、匂いを付けよう、とかありますが、ほんとうに五感を伴った作品表現は、五感を感じないのだと思います。五感の先にある、鑑賞者の精神にどう響くかのほうが重要なのだと思い、そこにアート表現の可能性があると常々感じています。
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■「鈴木先生はプログラミングなど機械に強いのでしょうか。もしそうであるならいつごろから勉強をはじめたのですか」
■「大学在学中デザイン科で周りが優秀で自分に自信がなかったといいますが、何年生の頃から自信を持ちはじめたのですか」
→学部を卒業するまでは、私はプログラム関連は一切出来ませんでした。ただ、仕組みや構造を作ったりするのは、小さい頃から好きでした。藝大に入って、まわりが皆すごいなーと自分に自信が無かったのですが、2年生頃から自分が得意としている仕組みと表現を結びつけ、時間軸のある作品を創るようになって、自分だからこそ発想出来る世界となり、大学でも評価されるようになりました。自分に自信を持てるようになったのはその頃からだと思います。プログラム等を学んだのは、修士課程で東京大学情報学環の学生と作品コラボレートの機会を得た時です。時間軸を扱うアート表現をする上で、プログラムという表現技法を学んだことは、自分にとって大きな飛躍でした。
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■「今の日本の社会において、アートという芸術の世界はどんな意味があると思いますか」
■「アートは表現なのか?アートは何だろう」
→アートって何なんでしょうね。私も答えが出ていません。ただ、何を伝えたいか、その作品が見る人の感情をどう動かすか、というのはアートにとってとても重要なことだと思います。アートというか、表現全てにおいて重要なことなのだと思います。社会にとってのこの考えは、デザインの世界に於いて最も必要なことだと思います。
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■「鉄琴のキャタピラや布に光を打った作品など、「いいな」と思った作品がほとんど鈴木先生の研究室の方でびっくりしました」
→研究室の学生へのコメント、学生も励みになると思います。21_21「動きのカガク展」では、うちの研究室から2人が展示していました。
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■「純粋美は万人によいと思われますが、(私は)そうではないものが好きでどうしたら良いやら、とよく思います。どうしていますか?」
→純粋美は確かに万人受けするものだと思いますが、作品に強い意志が込められていれば、万人受けする表現に寄せる必要は無いと思います。自分がもっとも好きだと思う世界を作品として外に吐き出すことで、そこにあらたなコミュニケーションが生まれるのであれば、それは岡田さんにしか出来ない表現に繋がり、強い作品になると思います。先端芸術表現科であれば、個人の精神論を作品として周りに振りまいた方が、意味のあることのように思います。万人に受けるものを狙う必要はありません。私はデザインの世界に住んでいます。公共空間では、老若男女、国籍を問わず好かれる作品であった方が良いと思っています。
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■「光のカーテン、変形するミラーボール、布の上を転がるビー玉の作品は21_21 DESIGN SIGHTに展示されていたものでしょうか」
→21_21にも展示されていたものです。場所に合わせてアレンジしてありますが。
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■「どうすれば引き出しが増えるのでしょうか」
→これは常日頃妄想を膨らませるのが良いかもしれません。理想的妄想が、理想の作品に繋がるのだと思います。課題にぶつかってからどうするか考えるのでは無く、自分の興味あるもの、こと、視点に常に専念していれば、それはいづれ自分にしか出来ない表現に結びついていくのだと思います。作品表現が、自分はこういうのがいい、こういう世界が好き、ということの鑑賞者との共有だとすると、自分はこういうのが好きだ!と思う世界を探求することで、独自の引き出しが自然と増えていくのだと思います。
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以上
2017年5月9日掲載
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