短編作品上映会

日時:2019.7.23[火] 16:20開始
場所:COI拠点 Arts & Science LAB. 4階

講 師|長嶌寛幸(作曲家, サウンドデザイナー, 本学映像研究科教授) 加藤直輝(映画監督)
ゲスト|飯岡幸子(映像作家, 撮影) 大石三知子(脚本家) 横山昌吾(編集) 山崎梓(編集)

「映像演習Ⅰ映画」の授業では、短編映画を制作します。学科、学年を問わず受講できる授業です。本授業を通して初めて撮影方法を学び、初めて映像編集に触れる学生も少なくありません。基本的にグループワークの映画制作は、企画段階から完成まで議論を重ねたトライ&エラーの連続ですが、毎年新鮮な作品が登場します。2019年度は約50名の受講生のもと14作品が集まりました。授業最終日(2019.07.23)にその成果発表の場として上映会を開催。ここではその発表作品への各講評コメントを掲載致します。
(ゲスト講師からのコメントは順次アップ予定)

 

 

|総評|

毎年、この授業で生まれる作品群を見ると、その年ごとに「作品内容の傾向」があるのに気がつく。異次元ものが多かったり、ホラーものが多かったり、とだ。学生達が示し合わせたわけでもないし、課題の出し方も「テーマは自由で短編映画を」という内容なのに。「その観点からすると、今年はあてはまらないかもしれないなぁ」などと思いながら観ていると、途中、なぜだか「宙吊り」という言葉が浮かんできた。

物語が途中で終わっている作品が多い。(これはこれで「終わっている」のだが、「今までの映画のセオリー」で言うと「終わっていない」。)理由としては、製作期間の短さという点もあると思うが、どうもそれだけではない気がする。「物語」と「物語以外」≒「現実」を強引に断ち切る「境界線」として「映画の終わり」が存在しているような気がする。「物語」と「現実」の境界線が融解し始めていると言えばいいのか。もっと言えば、もはや「境界線」も「近傍」に変容しつつあるのか?と。

しかし「宙吊り」だからと言ってダメなわけでもないし、想像界的な自閉した万能感に満たされているのでもない。ただ、「みんなは『宙吊り』なんだな、今」と思ってしまった。授業の中でも言ったが、作品制作において「時代精神」からは誰も逃れようもないから。今回、「2019年の日本の時代精神」の一断面を体験することができたと思う。また、やはり「映画」というメディアは「思ってもいないこと」を「思わず」映し出して「しまう」ものだとも、改めて実感した。

長嶌 寛幸


|作品評|

00『』

(長嶌)「他の授業の課題だったのですが、上映してもいいですか?」という飛び入り。ストップモーション・アニメーションによる「ささみの大冒険」。ドラマとして仕掛け(ささみ、大ピンチ!)が巧みで飽きさせない。労作。

(大石)野菜と鶏肉を使った映像。それぞれに愛嬌のある表情が出ていた。アニメーションの入口に立ったとも言える。この作風で今後、深めてみては?

01『gliss.』

(長嶌)最初は「朝起きて、出かけるまでの描写を」というシンプルな話だったが、「忘れ物」という要素が入って、ドラマとして成立したと思う。静止画中心の映像がシャープ。また、音の使い方も必要なものだけを後で付けるという作業を選択し、成功している。

(大石)カーテンが揺れる室内。ベッド、ピアノ、洗面台、古めかしい時代を感じさせる室内。短い映像の中に懐かしい印象を感じた。

02『Invisible』

(長嶌)未成年者による未成年者への性的暴行事件をテーマにした作品。セリフはなく、状況音と「足音」のみ。公衆トイレの2回目のショットでたじろぐ。固定カメラで、それがあまりにも「長い」のだ。ただ、それを見つめる時間経過の中で、私たちは「何も知らされていない」のに「言いようのない不吉さ」を感じ、その後、公衆トイレが、そして、そのドアにかけられた鍵が「不気味なもの」(フロイト)として私達の前に「再び現れる」。音響はサラウンドで制作したと聞く。是非、サラウンド版を観てみたい。

(大石)街中のトイレ前から始まり、別なトイレ前、謎の鍵のかかっているトイレ、手の跡、落書き。光は天井から差す光もあれば、真っ暗闇もある。足音が響いている。丁寧にInvisible(=見えない)を追っていると感じた。

03『ギャップ萌え』

(長嶌)キャッチな曲と残酷映像。映像、なかなか頑張っている。しかし、これは「ギャップ」なのだろうか。ISILの処刑映像とPVの親和性(神話性?)を経験した私たちは、この作品をどのように「体験」すべきなのか。どうも、もやもやとする。

(大石)殴られ口から血があふれ散る、地面に倒れ落ちた人物の周りに流血が滲んでゆく。これらの撮影は苦労も多かったのではと察する。暴力シーンを丁寧に描きたかったのは伝わる。創作意図を聴く機会があればその際、改めて感想を、と思う。

04『影』

(長嶌)「たくさん撮ったけど、どう繋げていいものか」と悩んでいたが、できあがると、これがなかなか良い。短いカットの連続が生むリズム感が独特で面白い。カフカの『変身』からアンデルセンの『影』へ。この連結が今ひとつ繋がらない。作品の完成度としては『影』だけでも良かったのかもしれない。しかし、この繋がらない「はみ出した部分」こそが、この作品の魅力だとも同時に思う。

(大石)スケッチブックに鉛筆で影のようなものを描くところから始まる。絵本に影が重なる。歯磨き、冷蔵庫、といった日常生活に影が重なる。さいごの影と鉛筆のやり取りも効果的。説明するということではなく、セリフを使うということでもない、『映像で物語る』ことに近づいている。

05『いくつもの交差点』

(長嶌)2人で撮影し、基本、2面映像で構成された作品。2つの映像は同期(Sync)というよりはAsync(非同期)中心に進む。ただ、私たちは、そこに「なにかしらの同期=物語」をよくも悪くも見出そうとしてしまう。しかし、後半の野良猫の登場で「同期=物語」が私たちからではなく、映像からひょいと顔を覗かせる。

(大石)海、夜、水面の光。画面は2つに分かれ、誰かが歩く、歩いている。ホーム。猫が歩き、猫が座っている。フェンスのある風景。花、窓、雨、道、カラス、しずく。様々なものが映っていたが、さいご、暗闇に浮かび上がる線香花火で終わる。いくつもの交差点を経て、映像の流れが『物語』っていた

06『Lovesickness Syndrome』

(長嶌)「恋煩い」というパワーワード。この言葉は、この世紀でも今のところ有効だと思う。しかし、この作品だけでなく、撮影(構図含め)、編集といった映画制作技術が昨年までよりも大幅に向上している気がする。「映像の基礎体力が上がった」と言えばいいのか。Youtuber登場以降の作品の一つ。

(大石)LINEでおやすみ、と挨拶する。スマホを受け取る。横断歩道。サンダルとヒール。傘。何やら、恋する二人が行き当たりそうで、すれ違うような雰囲気は醸し出されていた。

07『蝶夢』

(長嶌)どちらが「現実」で、どちらが「夢」なのか。人間が持つ、この普遍的な不安というテーマを身近に引き寄せた作品。しかし、「締切」へのオブセッション、なかなかに根深い。この授業もそうなのかなぁと、ちょっと思う。

(大石)スマートフォンを手にする。「課題が終わらない」という葛藤を背負う主人公。気づけば周囲には、変な人々が行き来し、変な声も聴こえ、夢とも現実ともつかぬゆがんだ世界へ迷い込んでゆく。パープル、紫色に変化する風景。しめきりという言葉、しめきりの部屋。描かれた世界はどこかしら笑いを誘う。観ている時、寺山修司の雰囲気を思い出した。

08『青色』

(長嶌)美しい映像詩。モノローグ、録音時の音声、無音の使い分けが上手い。「音楽」だと思う。転がり落ちるビー玉の「ノイズ」が、この「詩」の結節点となる。観終わった瞬間、「『弱々しく笑う壊れそうな心』を持ちながらも、『今まだ』、『私』は『生きている』のだ」と思った。

(大石)学校の玄関、並んでいる下駄箱。歩く足、ナイキのスニーカー。戸。教室の中にたどり着く。くらげ、水の中、水面、それらはサイダーのように淡く、ビー玉すら気づけばはかない。説明的なことは一切ないが、『青色』の染み入るようなしょっぱさを感じた、好感

09『天道戦士ジンツキ』

(長嶌)遠くにいる人がパッと目の前に来るにはどうすればいいでしょうか?」という質問に「カットつなぎで、その間に役者を移動させれば」と答えたら「そんなのかっこ悪い」と即答される。どうするのかと思いきや、プレミア上の特殊効果と簡単なCGも加えて、なんだか様になっている。NGカット集が本編と同じぐらいの長さ(!)というのも今風。しかし、「あんな場所」で「あんな撮影」をするなら、ちゃんと許可は取ろう。先生は観ながらひやひやしましたよ。

(大石)殺陣(たて)を取り入れたアクション。見様見真似かも知れないが、やりたいことは明快で楽しめた。戦う二人が始終笑っているのは意図があってか無いのか?これはこれで、笑って戦うのが新しくも感じた。この方向で映像を作り続けてみては?

10『NAME』

(長嶌)「名前」ということについての不安。変貌する焚火の炎の色がそれを表象するのか。しかし、この作品に「文字」は必要ないのではないか。説明は不要な気がする。がっつりかかるラストの歌物で終わりかと思いきや、また物語へ。この辺も今な感じがした。

(大石)暗闇の中に見えるか見えないか程度に浮かび上がる目。何も見えない、声が出ない。焚き火に炎が立つ。画面は『炎』と、冒頭と変わらない見えるか見えないかの『闇の中』とを往き来する。まどろっこしさが素晴らしく、さいごまで何が起こるか見逃せない気分にさせられた。画面と音楽に力があるので、言葉は無くても良いかな、とも思った。

11『DEADLINE 予告編』

(長嶌)壮大な予告編。しかし、何気にツボを心得た演出と演技。本編最後に「制作は計画的に」とのテロップが出るが、これもまた良し。これもNG集ありだが、構成がなかなか凝っている。Unoも計画的にね。

(大石)UNOをしている学生ら。2メートルの球体を作るという課題。藝大のどこかにありそうな日常が歪んでゆく。しめきりに間に合うのか?という葛藤が見え隠れし、思わぬところまで飛んでゆく登場人物たち。本作の作者は彫刻の学生だろうか?無から有を生み出す立体感覚はデッサン力の賜物と感じる

12『Money comes and goes』

(長嶌)いわゆる「パパ活」をテーマにした「消費」をめぐる物語。物語最後、主人公は「パパ活」による「戦利品」に囲まれて、これも戦利品であるドレスを着たまま眠る。彼女は「楽しそう」でも「悲しそう」でもない。この作品の本質は、このショットにあると思う。

(大石)原宿と思しき街。ファッション、アクセサリー、友人と自分。主人公は気づけばおじさん相手に稼ぎに稼ぐ。バッグの色が印象的。ボーイフレンドの雰囲気も良い。描きたい世界が明確。観ている時、ソフィア・コッポラの映画を思い出した

13『いいひとだね。』

(長嶌)演出が上手い。役者も友人関係で集めたと思うが、登場人物が皆、「それらしく」見える。生魚に嫌な友人の顔を貼り付けて、包丁で魚をグチャグチャにするシーンは白眉。部屋に戻ってきた時の主人公の目つきと言ったら・・・私たちはそこに「本当は存在しない人物(だって、演技だから)のあるはずもない『内面』を垣間見てしまったような気にさせられてしまう」のだ。「映画」としか呼びようがない瞬間。企画段階では、この物語には続きがあったようだが、今回はその物語の折り返しで映画は終わっている。ここでも終われるのだが、最後のシーンにキモになるカット(「部屋に戻ってきた時の主人公の目つき」のような)があれば、なお良し、とも思ってしまった。欲張りに聞こえるかもしれないが、それだけ力作ということ。

(大石)大学の友人との風景から始まる。魚を切る、刻まれて、つみれに。レモンを絞り写真にかける。アジを開く。そして新たな魚を買う。実は本心を明かせる友人がいた。脚本が良く書けました。筋も上手いが、冒頭の友人らとの会話、何を話しているのかさっぱり聴き取れないけれど、それぞれの性格が見えてくるのが素晴らしい。

14『クリームクライム』

(長嶌)今年度の履修者に昨年の履修者(単位、取れているのに・・・)が加わって完成させた30分を超える大作。内容はシュークリームをめぐる「仁義なき戦い」。ガン・アクション、殺陣、肉弾戦を含む。CG、合成もありで、長さも含めて、色々な面でてんこ盛り。「ああ、くだらない(褒め言葉)」と思いつつ観ていると、「(シュークリームを)隠した場所はどこだ!?」「・・・岡倉天心(像)のところだ・・・」で思わず吹き出してしまう。なんだか悔しい。

(大石)今回は『シュークリーム』というアイテムを得て前作より明確に仁義なき戦い(抗争もの)が描けている。登場人物が増えたが、一人ひとり個性的で魅力とともに味わいがある。素晴らしいのがそれぞれのシュークリームの食べっぷりが徹底していること。場所の使い方も工夫され、岡倉天心に隠された秘密、というくだりでは思わず膝を打った。あっという間の33分32秒だが、華のあるシーン、出会ってみたい魅力的な登場人物、その場へ行きたいと思わせる場所、満載である。もっと観ていたいと感じさせる何かがある。多分、次作も作るだろう、楽しみにしている。

 

以上

2019年7月31日掲載