映像演習1_上映会ポスター

01『Déjà vu』

Déjà vu

(長嶌寛幸)編集、音楽の使い方含め、抜群に上手い。今回、物語性がある作品ではベストと言っていいと思う。

(加藤直輝)プレゼンの際には見えていなかったものがチームでの対話により一つずつ具体化していく過程だったと思う。構成、デクパージュ、編集が的確なのはループする日常を表現するために必要なものをスタッフ間でしっかりと共有できていたからだろう。テンポを支配するリズムとそれを断ち切る「え」という肉声などサウンドトラックも効果的だった。

(大石三知子)繰り返し、すれ違い、行ったり来たり、という流れの最後に生じる妙味。全体(登場する人と物と空間、その演出、撮影、編集、音、脚本)がうまくかみ合っている。シンプルな中にも深さを感じさせる上質な一作。

02『おっさんチェンジ』

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(長嶌寛幸)これも上手い。しかし、この物語の「大ネタ」であるべきところが「ああ、こんなことあるかもしんない・・・」と思ってしまったのは、僕らが21世紀に生きている証拠かもしれない。

(加藤直輝)企画時から明確なイメージと脚本があり、撮影、編集と制作に入っても見事ブレずに完成させた。カット割も事前に用意されたコンテに従うというより個々の狙いが明確で人が倒れていくような難しい場面でもさらっと収めてしまう柔軟性が素晴らしい。おっさん役は結果的にこれで正解でしょう。

(大石三知子)予測できない抜けた感じが所々にあり(テロップでパチンコ、とか)惹かれる。登場する一人一人が、はまるべき所にはまっておりコミカルな魅力を増している。

03『ちゃあちゃん』

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(長嶌寛幸)美しい作品。特に、8mm映写時の「フィクションとノン・フィクションが混濁した(ように見える)状態」は特筆すべき瞬間だと思う。でも、個人的な意見だが「ちゃあちゃんは映るべき、というか、作り手は『映った!』と確信すべきなのでは?」とも思う。もちろんそれは「嘘」なんだけど、その「嘘」は豊かであり、かつまたそれが「映画なるもの」の一つなのではないか、とも。(当たり前の話だけど、ホラーにしろとかじゃなく)ラストはちょい淡白。映像、音響(8mmの映写音)含め。もっと余韻があると更に良くなる。

(加藤直輝)おそらく最も挑戦的な作品。非在を写そうとする試みは絶えず敗北の歴史だが、それゆえに駆り立てるのだろうか。写す/映すことができないゆえに人は語りをもって対峙せざるを得ない。その意味でこの作品は満点かもしれない。しかし敢えて問おう。8mmの映写と共に他者の会話が途切れた後、その己の語りはどこから来たのかと。願わくば、その言葉が湧く場所を、もう少し見つめ続けてみてほしい。

(大石三知子)荒い感じと、軽さと拙さに騙される。実はそれらが効果となって不気味な何かの漂う家の奥深くへ観る者を引きずり込んで行く。スクリーンの明るさが更にその気味悪さと温かい何かを醸し出している。スクリーンのシーン、その背景の会話が良い

04『何も起こらない映画』

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(長嶌寛幸)「世界の有り様」を表した(かもしれない)映画。「知らぬが仏」という言葉を思い出す。途中の野球の練習風景(麻布フェニックス)は音楽を切った方が「映画」っぽかったのかもしれない。しかし何故、音楽がウェザー・リポートなのだ!?

(加藤直輝)本当に何も起こらなかった。しかし自分はたしかにスクリーンを見ていたはずで、実際映画を見たのだ。ではこの3分間に何が映っていたのか。地球と野球だ。だが短編とはいえそんなもので映画が撮れるのか?映画とは登場人物と出来事がストーリーを動かすものではないのか?否、丸いものがあれば映画は作れるのだとこの作品は証明してしまった。

(大石三知子)前半の何か起こりそうな不思議な雰囲気を含む絵。そして後半の野球チーム、といえば何を映しても眩しすぎるはずだが、淡々とこれから始まるという景色が幾つかあるばかりで、得点も未だ無く、新鮮な野球の捉え方。前半後半その二つのギャップ、そして地球+X、合わせて四つの化学反応で本当に何も起こらないのが素晴らしい。

05『wander』

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(長嶌寛幸)始まりのメモ書きの内容が見える前でカットされているのがミソ。カメラの動きが、デジタル以降のジョナス・メカスを想起。「日記」が「映像」と「文章」で補完しあうおもしろさ。最後に登場する「日記のありかた」がこの映画を急速にフィクションへ移行させるのも、ここでレイヤーが重ねられている証拠だと思う。

ジョナス・メカスhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%AB%E3%82%B9

(加藤直輝)デスクライトの点灯で始まり黒味の切断で終わるように明暗によって展開する日常のスケッチを大胆な主観と客観の切り替えによってシャッフルすることで日常と非日常の境を効果的に表現していた。手元で書かれる文章と視線を上げた先にある風景とのマッチング、逆にズレたときの異化がどちらも近くて遠い不思議な既視感を生む、スリリングな一人称の視線劇だ。

(大石三知子)一人の女性の目を通して色んな事物が見え、記されて、観る側はもっと観たくなる、という流れに飲み込まれそうになる。この世界にはどんなリズムや呼吸が有るのか?もっと映したら良いと思う。それが映ると、更に期待が高まり、もっともっと観たくなると思う。

06『涙』

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(長嶌寛幸)足音が効いている。歩くシーン以外をサイレントにしたのも正解。合成の色味も退色した感じで好印象。そして、合成シーンがワンカット長回しであることも。「合成」という「起こっていないこと」を延々観ることで、私達は「何かのっぴきならない所に立ち会う」ことになるのだ。

(加藤直輝)感情や涙の擬人化という抽象的なテーマは非常に映画的であるがゆえに破綻することもままあるものだが、シンプルな小道具と執拗なまでのオーバーラップで強引に成立させてしまった。映画はブツしか映らないという基本原理に沿って大量の塩化ナトリウムが撒かれた舞台で、淡く重なっていた女が最後物理的に分身を押した瞬間、一つの感情でしかないものを超えた運命が決まってしまった恐ろしさがあった。

(大石三知子)マスクの謎の人物と一人の女、校内の薄暗い廊下と階段、塩。塩の置き方が丁寧過ぎず、バラまいたというか、無造作な感じなのが良い。シンプルなお膳立ての中にそんな塩の変な怖さがあって、行き着いた先の女がずっとフラフラ動く、その動きがすごく上手くて良い動き、恐ろしかった。

07『TVショッピング』

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(長嶌寛幸)「フェイクもの」としての完成度は異常。(ただし、私の出演部分以外)しかし、この「ひたむきさ」は何なんだろうと思う。もちろん、テレビショッピングという存在に私達が往々にして抱きがちな「そんな上手い話あるの?」というシニカルな態度でこの映画は成立しているのだが・・・「そんなにガチにやんなくても」と観ていて思ってしまうところがこの作品の最大の魅力かもしれない。

(加藤直輝)冷静かつ的確なパロディだが一貫した構成の裏にあるはずのモチベーションが一体何なのかさっぱりわからない不気味さすら漂う作品。ナレーション、テロップ、各エフェクトや編集のクオリティが高いゆえに余計に際立つ。「トップガン!」にかかるエコーに熱いエモーションを感じた。

(大石三知子)デッサン力の賜物。上質なパロディ。安直な感じに留まらないのは、美術も音楽も映るもの全てを、作り手が本気で面白がっているからだと思う。例えば、物撮りでも箱の後ろに緑の植物が揺れているのが良い。トップガン映像が効果的。

08『VJ』

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(長嶌寛幸)そのものズバリ「VJもの」。撮影、編集が上手い。しかし「主題的な何か」が見えてくるためには(それが作り手の意思でなくても)、この長さの倍は欲しかった。後、最後の喧嘩のシーンはもうちょい観たい。映画が「破けるそうな」瞬間を感じたので。

(加藤直輝)断片的なイメージやアイデアから撮影を始めることで手探りで作品としての「形」を刻んでいったのだと思う。サウンドトラックと見慣れた風景のカットアップは相性が良くもっと長く見ていたいグルーブがあった。最後のカットがタイムストレッチ以外の編集を受け付けなかったのは偶然撮れてしまった剥き出しの現実への素直な反応なのだろう。そして、そんなカットから始まる作品もきっと作れると思う。

(大石三知子)映像の塑像なのだと思う。奥行きを感じるし、撮っている人と対象の距離、一方向で無く別な面からの視線も想像させてくれる。途中現れる人物が、自然な在り方で好い印象、もっと観たくなる。

09『Too Man To Go』

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(長嶌寛幸)Pink Floydの「The Gnome」から始まりThe Doorsの「Break on through」で終る、おじさん泣かせの選曲センスが渋すぎ。しかし、この映画の最大の魅力はコスプレした3人が長々とダベっているシーンだと思う。ここには「借り物」ではない不思議なリアリティーがある。しかしこの歳になって、授業でコレを聴くとは思いませんでした。

JAGATARA Tango  https://www.youtube.com/watch?v=zDeXCruomeQ

(加藤直輝)鏡上に置かれたマンゴーが表と裏という姿を同時に見せることで別世界同士をつなぐ装置として機能している。男は接地面という見えない一点に取り憑かれておりあれこれ入れ替え何度も見ようと試みるが、実は覗かれていたのは自分の方だった。入れ子構造と最後その境目が破綻した後の妙な開放感がよかった。

(大石三知子)どのパートも光が丁寧に扱われており、ハッとする絵。というか世界が面白いので迷い込んでみたくなった、女子3人にも会いたくなる感じ。未整理の部分もあるが、それに勝るものに満ちていると思う。

10『Lola』

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(長嶌寛幸)「The Kinksの『Lola』ありきで、逆回転の映像で見せたい」という話だったんで、油断してました。終盤、あんなコトが起こるなんて・・・エンド クレジットでアメ横の雑踏に消えてく前に振り向く主人公のなんと不気味なことか。

(加藤直輝)走る男と逆回転というシンプルなスタートからどんなオチになるか気になっていたが、こう来るとは。男の表情が一目でイッてると分かるのが素晴らしい。曲の尺に合わせて「起点」を戻って進む構成がバッチリはまっていた。エンドロールでアメ横の雑踏に紛れて行く男の視線とそれを写すカメラの視点がこの作品をただのPVでは終わらせない重力となっていた。

(大石三知子)突き抜けている、見事な構成。更に太陽が演出の一役、というかキャストの一員となっている(撮影で色んな条件があったと思うが)すばらしい自然光。

11『A Walk』

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(長嶌寛幸)シネ エッセイである。だけどもそれは鍵括弧付きの「シネ エッセイ」ではもはやなく、映像と音声はここでは画角(画面サイズ)の変更含め、アナーキーな自由さを獲得している。ハッとする映像、編集多し。後、夜道のシーンで、もの凄くいいタイミングで犬が吠えるのですよ。

(加藤直輝)冒頭縦フレームのカット、夜の住宅地のカットなど監視カメラと同じポジションの視点が不穏さをいや増す一方、日中の公園や動物などのカラッとしたカットとのコントラストが不思議な調和を生んでいる。朗読する声の焦燥感に圧せられつつも揺れる梢、磨りガラス、林の緑、闇に煌く塵などの単純な美しさにハッとさせられた。

(大石三知子)何を撮るか、自分の感覚を研ぎすませて追い求めている。カメラを向ける段階では自分の中に入り込むもの、一方で眼差しを向けることに絞って観る、その距離を直感で捉えている。それは作り手の知性と人柄が醸し出す、計算出来ない何か、なのだろうと思う。

12『選択の自由(BANANA)』

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(長嶌寛幸)シュールもの。アイデア、展開、落ち含め良い。一番優れている点は人間の顔が見えない(目が映らない)点。講評の時もそうだったが、観る度、何故だかクスっとしてしまう。先生は歳寄りなんで、「選択の自由」と聞いて、コレを思い出しました・・・で、観ながらかけたら、不思議に合いましたよ。

Devo Freedom Of Choice  https://www.youtube.com/watch?v=1B2tyKfrChQ

(加藤直輝)映画は果物一つで日常を捻じ曲げてしまうことができることの証左。バナナは生活必需品であり、電子通貨であり、ハイテックなコミュニケーションツールである。もちろん食べることもできるし、交換することもできる。そんな何気ない場面のカット割のテンポが良い。フレーミングもシンプルで距離感が的確だった。欲を言えば滑って転ぶようなベタな使い方も見たかった。

(大石三知子)試行錯誤はままあったと思うが、撮りたい映像がはっきりしており、その結果面白く良い絵が沢山ある。ベンチ、改札口、等、印象濃厚に残る。全編通してバナナを登場させる一貫した姿勢で、さりげなく不思議な世界を描く事に成功している。

13『爆発できなかった』

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(長嶌寛幸)屋外のシャンプーと室内でのお歯黒の2部構成。1部で「不思議だけど(逆回転ネタ)最終的にはポップに着地する」曲を選曲したことが勝因だと思う。やっていることはすごく私的なことなんだけど、音楽、タイトルロゴ(出すタイミングも秀逸)の使用で、総体として公的な映像表現に変容している。

(加藤直輝)空気をたっぷり含んでモチモチになった泡の塊を己の顔にぶっつけ立ち上がるまでの少しの間とお歯黒をひとしきり塗り終えその出来栄えと口内の感触を確認した後に顔を歪ませるわずかな間が「やっちまった」という時間の不可逆性を残酷に露呈させている。さらに目を開けられずフラフラと足元を探って行く数歩とゆっくり壁にもたれかかるまでまでの距離が遅れた逡巡のドキュメントとなっていた。料理する生活音がよかった。

(大石三知子)シャンプーしている場所、口を塗っている背景の音、深い謎を含みながら好感を持てる。ワンピース踏んでたり、最後に髪の毛が残ったり、余韻の残し方が憎めない。

14『うえののうた』

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(長嶌寛幸)「上野の紹介をラップでやります」と聞いて、実は内心、非常に不安だったのですが、いや〜、観て驚きました。この上手さは一体、何なんだろう。オープニングがカラオケのMVを模しているのも芸細かすぎ。秀逸。

(加藤直輝)最も遅れてスタートしたチームの一つだったと思うが短期間にとんでもないものを作ってしまった。全編に通底するゆるさ(肩が垂れてる感じ)が案外上野にはハマることが分かった。リリックに合わせたカット割がどの場面もサラリとやっているように見えるが現場でスムーズに撮るのはなかなか大変だったはずで、その辺りもいい意味で肩の力を抜いてやれたのではと思う。子ども図書館のランチが気になった。

(大石三知子)ストレートにやりたいことが描けている分けだが、面白く興味深く観るのは、手順がしっかり積み重ねられているから。途中のヘタクソも苦笑的魅力で。洗濯機の渦に身をまかせる感じで好感。

15『ATTACK』

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(長嶌寛幸)この作品の凄みは伊藤高志へのオマージュに終っていないところだと思う。森が見えた時、観ている私達は「いままでいた地点とは違う所」へ強制的に連れて行かれるのだ。

(加藤直輝)何を撮るか決まるまで時間が掛かったと思うが、こう来るとは思わず。終末的な色調とイヤーな感じのアンビエンスがよく合っていた。その不穏さは否が応にも最後の霧が燻った森のカットに継続しており、てっきり上からナパームが降ってきて緑を焼き尽くすのではないかと夢想してしまった(ATTACK)。そんなアポカリプスナウな雰囲気を纏っている。

(大石三知子)上手かったり綺麗だったり、というのを遥かに越えて重厚な何かが生まれつつある。螺旋階段を一段一段昇る、くるっとひと回りして先ほどの位置より上へ移動している、というリズムがあって、森とモヤが現れて窓を開ける感じなのだが、飛躍という程大げさなことではなくて、三センチくらいの段を踏み外すとか、坂道の傾斜が5度くらい変わるとか、薄い雲が太陽を遮って季節が変わった事を知るとか、大小ではなくてポンっとした感じが大切なのだろう。

16『馬のような女』

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(長嶌寛幸)この映像にはいわゆる「物語」はない。しかし、逆回転を含んで反復される女性の動きと馬の映像を交互に観ていると、そこには2者の動きが生み出す物語的なものが発生し始めた気がした。この辺りを追求すると面白い表現になるのでは、と思う。撮影、編集、グレーディング(色調整)、どれもレベルが高い。

(加藤直輝)女と鳥と馬が出てくるが逆に言うと他に登場するものはなく、その好きなものだけで映画は作れるのだと小気味よく宣言しているようだ。鎖骨から胸骨にかけて強調された女のフッテージと馬の尻がつながれたとき、もしかしたら鳥瞰的視座からは二つは同種として見えているのかもしれないという戦慄が走る。ちなみに私も過去シマウマを撮ったとき(カメラマンは飯岡さん)収めたのは尻だった。

(大石三知子)これはもう大きな画面、広い空間で、観てみたい、この映像が発する光に包まれたい。そう思った。その理由は少し考えてみたいし、これを作った人や観た人と話してみたい。

総 評

 

(長嶌寛幸)

今年度は各作品の方向性が見事なまでにバラバラでした。もちろんいい意味で。(ちなみに昨年は「ホラー」を題材にした作品が多い傾向がありました)しかし方向性はバラバラでも、「2つのレイヤーを持つ作品が多かった」という点は今年度の特徴と言っていいでしょう。ここで言う「レイヤー」とは、映像作品が持つ様々な機能と考えて下さい。例えば、視覚的な面白さであるとか、物語の面白さであるとか、です。授業時の講評でも触れましたが、『The Kinks Lola』の逆回転という視覚的な面白さと後半になって始めて明かされるドラマという2つのレイヤー、『ATTACK』の入れ子状に処理された映像技術の巧みさと最後に現れる森林の美しさという2つのレイヤー、などです。レイヤーは「映画における2種類(以上)の面白さ」と言い換えてもいいでしょう。短い制作期間、そして短編であるということを考えると、これは驚異的です。一般的に短編映画、それも5分程度の長さのものは通常、ワン アイデア、ここでいう1つのレイヤーで成立しているものが世界的にもスタンダードだからです。しかし、みなさんが考えてそうしたのではなく(逆に理詰めで「2つ(以上)のレイヤーをこの映画の中に組み込もう」という地点から制作を始めていたら、この期間内の提出は難しかったと思います)、みなさんの多くが「発想の段階ですでに2つ(以上)のレイヤーを(自然体で)持っている」と考えるべきなのではという気がしています。

そして、みなさんのデジタル機器への親和性の高さも今年度の特徴として挙げられます。これはiPhoneなどのスマートフォンの普及が大きいと思います。(身体に深く「スマホが染みてきている」と言うか)特にアプリケーションの扱いについては「スマホ的なロジック=画面のここを押せばこうなる」の影響が大きいのでは、と思います。これはみなさんの思考や行動にも、大きな影響を与えていくと思います。

最後の授業でもチラリと触れましたが、ポケモン GOの登場で120年ほど前にリュミエールやエジソン達が起こした映像革命が、ARという形で再びやってきています。(もちろん、付帯してVRも)これから映画を含めた「映像なるもの」がどのような道のりをたどるのか、私も明確な答えは持っていませんが、たぶんそれは波乱に飛んだものになるでしょう。(これからの世界と密接にリンクしつつ)

みなさんのこれからの表現活動に映像が関わってくる/こないは、各自それぞれだと思いますが、今回の授業が自分の表現と映像 ≈ 世界との「距離」を考えてみる一つの契機になればと思います。

(加藤直輝)

似たようなテーマやイメージから出発しているはずのものが多々あるにもかかわらず、結果16本のまるで異なった作品たちが生まれたことに正直驚いている。授業後半、実習や制作が始まってからの様子からも感じていたが、もはや映像や映像を記録するデジタル機器が身体の一部となっていて、そんな人たちが旧種とは全然違ったアプローチで映像を更新していくのだろうと実感させられてしまった。これから個別の制作に戻っていくにあたり、自身の道具として映像を携えていってほしい。

(大石三知子)

今回は良作多く、実習という枠を超えて作品として楽しませて頂きました。ありがとうございました。また、ご縁があれば、作品を拝見&拝聴したいです。

 

 

以上

 

 

2016年9月14日